面白い現象がクラスにおいて見られるようになったので、紹介いたします。
その現象とは「タブレットをどの授業でも必要とあらば自由に使ってよいという取り組みを続けていると、タブレットの使用率はかえって下がってくる」というものです。
つまり子供たちが「あえてタブレットを使わない」という選択を取り始めたということです。逆に、教科書や資料集、図鑑などのいわゆるアナログな教材が使われるようになってきました。
これはタブレットの長所短所を子供たちが感じ取っているからできることです。
また、子供たちが「学びの主体性」を身につけてきたからであると思います。
もし調べ学習中に、クラス全員がタブレットを使っていたら
①タブレットを使うことそれ自体の喜びが、タブレットを使うことの短所に勝ってしまっている
②教師側にとって都合の良い「学びの主体性」を子供が察して(忖度して)、タブレットを使っている
①と②のどちらかが当てはまります。①は初期の段階です。
私は②が危険であると思います。
②はいわゆる教師のご機嫌伺いを子供たちがしている状態です。タブレットを使っていると先生が喜ぶから使おうと子供たちが考えているのです。
タブレットを使わないという選択肢を選び取れる主体性を持っているからこそ、いざタブレットを使ったときに主体的な学習ができるのだと思います。
引き続き、クラスの子供たちの様子を観察し、紹介していきます。
文責:吉野倫
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